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2022年02月08日(火) お知らせ

パコムからのメッセージ【2月】

2022年2月

 

パコムからのメッセージ【2月】

 

寒い中にも柔らかい春の日差しと梅の香りを感じられる日がやってまいりました。
オミクロンの猛威もそろそろピークアウトに向かうと心から信じて、春を待っています。

 

さて、私事ですが、先月20日に母が急逝いたしました。享年88。

9月の誕生日に米寿を迎えるので、暖かくなったらお祝いしようか、と言っていた矢先でした。
 

スープの冷めない距離に住んでいるので、週に数回は仕事から帰宅したら実家をのぞいて、一人暮らしの母の様子を確認しておりました。

18日の夜に母の家を訪れた際に、翌日のディサービスに新しい靴を履いていくというので、自宅内でシルバーカーを押しながら、足が靴に馴染むように練習したり、普通に食事を摂ったりいつもと同じ様子でした。
 

認知症の兆候は全くなかった母でしたが、年明けから何となく物忘れが激しいと、本人が心配していたので

「あなたのお名前は?」と問うてみました。

「若原博子です。谷口博子(旧姓)です。若原博子の人生は幸せでした」と話しだしました。

「谷口博子の時は、戦争の思い出しかないわ。戦後もずっと大変な世の中だったわ。戦争は絶対してはいけない」と。
母の口から「幸せだった」などと、肯定的な話など聞いたことがなかったので、耳を疑うくらい驚きました。
こんな話をしてくれるなら、明日はもっといろいろ聞いてみよう、と思い大きな満月、ウルフムーンを見上げながら、自宅へ戻りました。

 

翌朝、普段はそのまま出勤するのですが、ディサービスの準備完了の確認電話がかかってこないので、気になって実家に駆け付けた時には、すでに意識不明で倒れていました。
その後、救急車で神戸に震災後完成した災害医療センターに搬送して頂きましたが、数時間後には静かに息を引き取りました。

 

最期まで自宅で過ごしたい、
長患いをしたくない、
そんな思いを叶えて天寿全うでした。


最期の会話が「幸せだった」と言う言葉は、それまでの母との葛藤の日々と、心のしこりを、天上に昇華させてくれたと感謝しています。
母は社交的でもなく、物欲も無く、淡々と生きているように見えていましたが、人の幸せ感、価値観というのは、まさに人それぞれだと改めて気づかされました。

若い頃は長身でしたが、最近はちびの私と同じ目線になっていたので「背が小さくなったね。150㎝の私と同じ身長だわ」と言うと「え?150㎝しかないの?あんたも腰が曲がってきたんかい?」と真面目に聞いていましたっけ。
 

昭和一桁生まれ、戦禍をくぐり抜け、日本の経済が急成長した時代を生き抜き、昨今の日本の情勢を嘆き、国会中継でヤジを飛ばしながら、これからの世の中を憂えんでいた母。
あっぱれな最期でした。

 

彼女の信条は生きてるモンが最優先。
自分が大事。
ある意味、自分勝手な母でしたが、今度は私がそれを受け継いでいくでしょう。
さぁ、自分自身が楽しいこと、幸せに感じる時間を大切にしていきましょう。