2023年10月16日(月) |お知らせ
パコムからのメッセージ【10月】
2023年10月
パコムからのメッセージ【10月】
ようやく寝苦しい夜から解放される日がやってきました。
9月29日は中秋の名月も美しく見ることができて、8月は2回も心に残る満月に巡り会い幸せな気分でいっぱいです。
最近、目の老化に伴い、じっくり活字を読むことが苦痛になりつつあります。
ずいぶん読書から遠ざかっていたので、急に昔の文学を読みたくなりました。
内容は知っていても読んだことのなかった三島由紀夫の「金閣寺」を8月15日に読み始めました。
まさに、本の内容も終戦記念日からの始まりでした。
ご存知ない方もおられるかもしれないので簡単にあらすじをご紹介すると、京都北部の舞鶴の寺の息子に生まれた吃音症の主人公が、金閣寺に奉公に行くことになり、さまざまな挫折と屈折の思いから、敬愛する美しい金閣寺を放火するまでの経緯を描いた小説です。
たまたま舞鶴にいる時に読み始めたので、季節も場所も重なり、小説の中に入り込むようにして読み終えました。
三島由紀夫の描写や表現は秀逸で、言葉そのものが芸術のようで、私には理解できない表現も多々ありました。
この小説が書かれたのは、1956年、70年近く前です。
実はこの小説は、1950年にまさに金閣寺の見習い僧侶が、放火をした事実を描いたものです。
実際の放火犯だった僧侶は「金閣寺という美に対する嫉妬と自分の生活環境があまりにも悪いのに、拝観に来る有閑的な人たちへの反感から放火した」と述べているそうです。
人間の憎悪や感情は、第三者には理解し得るものではありませんし、心の中をのぞき見ることもできません。
しかし時代は経ても、似たような事件が起きると いう現実を見れば、人の感情は大きく変化のないものだ、と思いました。
さて、小説の中で、吃音の主人公には足の不自由な友人がいて、その友人から寺に生えているトクサ67本、カキツバタ45本を下宿に持ってくるように言われます。それを持参すると友人は、無造作に切られたカキツバタとトクサを見事な手さばきで、見るもあざやかに、その花々を人工的な美の盛花にします。
『あるがままの花や葉は、たちまち、あるべき花や葉に変貌した』と表現されていました。
あるがままのものをあるべき姿に変える、ちょっと考えさせられた表現でした。
もともとの自然のままでなく、修正し、手を加えることで、本来あるべき姿に変化していく。
私たちの日々の生活の中も、あるがままでなくあるべき姿に変えていかなくてはいけないことが多くありそうな気がしました。
たまには、スマホをのぞき込むのではなくて、活字を読むのも良いことです。
「読書の秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」何でもいいので、自分の好きなことや楽しいことを見つけて、秋晴れの気持ち良い日を楽しんでください。
私は、人混みかきかけて、放火から五年後の1955年に再建された金閣寺を拝観しに行きたくなりました。
きっと違う風景が見えることでしょう。